『Escort』
とある休日のこと。
「はー、いっぱい買っちゃった。やっぱり誰かについてきてもらえば良かったかなぁ」
手持ちが少なくなっていた傷薬の買い出しを済ませ、ずっしりとした紙袋を抱えながら私は一人商店街を歩いていた。
傷薬。ひとつひとつは小さな瓶だが、中に液体が入っている容器を運ぶのはなかなかに骨が折れる。宿までの道のりが長い。
空は厚い雲に覆われ、季節が変わったことを知らせる風がひんやりと頬を撫でていく。
「さむ」
幽霊である私の肉体は、パーティの参謀であり死霊術師のノクターンの術によって消滅することなくこの世に留まることが出来ている。死んでしまって以来 体温はなくなってしまったものの、痛覚や気候の温度感覚はあるというちょっと不思議な身体だ。
痛かったり寒かったり、それが不便に感じることもある。けれど生きている人間と同じ感覚を持っているという事実は、私はまだここにいてもいいと言われているような安心感を与えてくれた。
「ん?」
宿への帰り道、ふと、路地裏の店に目が留まる。
こんなところにお店、あったっけ?
新しく出来た店なのだろうか。
カラフルなリボンで可愛らしく装飾された窓から中を覗き込めばアクセサリーを扱う店のようで、若い女の人のお客さんで賑わっているのが分かる。
「えぇ。知らなかった。見てみたいな」
冒険者として日々泥に塗れたり下水道を漁ったりしているけれど、私だって女子の端くれだ。こういうものに心躍らないわけがない。むくむくと湧き上がる好奇心を抑えられず、窓にぶつかってしまいそうな近さで更に店内を覗き込む。
しかし悲しきかな、両手はその下水道に潜るための傷薬で塞がっていて。可愛い装飾品を手に取る余裕は残されていない。
「……うーん。今日は諦め、かな」
日を改めてベリィと来よう。自分に言い聞かせるように、張り付いていた窓から身体を離した。
その時。
「へぇ、可愛いな」
「わぁ!?」
突然頭上から降ってきた声に飛び上がりそうになり、素っ頓狂な声を上げる。
見上げればその赤い髪には見覚えがあった。同じ宿の冒険者──ザクロが私と同じように中を覗いている。
「び、びっくりした。ザクロ、なんでこんなとこに?」
「ごめんごめん。そこ歩いてたらナナちゃんの姿が見えたから、何してんのかなーって気になって。ちなみに俺は依頼の帰り。楽な仕事で助かったわ」
「何って、えーと、ちょっと見てただけ。これから宿に帰るところ、だよ」
別に何もやましいことはしていないのだけれど、予期せぬ出会いに驚きを引きずったまましどろもどろに答える。
実を言うと、私はほんの少しだけこの人が苦手だ。へらりと笑うその表情と常に眠そうな黒い瞳からはいまいち本音が読み取りづらく、リヒャルトの旧友だと聞かなければこんなふうに偶然街で出会った時に言葉を交わす間柄にはなっていなかったと思う。
鼻の効くエドガーやラズがザクロから何か嫌な匂いがする、と警戒しているのを聞くに、私なんかが積極的に近づいていい相手とも思えない。
「ここで買い物するなら荷物持っててあげようか? 両手塞がってるじゃん」
「へ?」
そんなふうに思っていた相手からの予想外の提案に、またもや変な声が出た。
「い、いいよ。悪いし」
「子供が遠慮なんてするもんじゃない。窓からすっごい熱視線送ってたの見ちゃったもん」
「うぅ……」
困った。言い返せない。
──それから、少し、恥ずかしい。子供のくせに、幽霊のくせにお洒落したいんだ、とか思われてないかな。
「というか、実は俺もちょっと見たい」
「えっ」
「目が楽しいじゃん、アクセサリー。けど、お客さん女の子ばっかで男一人だと入りづらい」
ナナちゃんが買わないならそれでもいいけど、ちょっと付き合ってよ、と。
そこまで言われてしまえばいよいよ私に断る理由はなく、仕方なく私はザクロと共に店の扉を開いたのだった。
***
カランコロンと、心地よい鈴の音が鳴り響く。
「わぁ……!」
店内はキラキラと光る装飾品に美しく彩られ、眩しいくらいだった。貝殻をモチーフにしたピアスに飴色の指輪、桜の花びらを繋げたようなネックレスも可愛い。
「ピアス好きなんだよね、俺。今つけてるヤツは仕事柄魔除けも兼ねてるから、ホイホイ替えられないんだけどさ。昔は色々持ってた」
ピアスの並ぶテーブルの前にしゃがみこみ、耳飾りを物色するザクロは少し楽しそうに見えた。赤い髪の奥で琥珀色のピアスが揺れている。
こんなふうにザクロと二人だけで他愛ない話をするのは初めてで、なんだか妙な気持ちだ。ソワソワとして落ち着かない。
「……耳たぶに穴開けるのって、針でやるんでしょ? 痛くないの?」
沈黙が訪れることが怖くて何気ない疑問を口にすると、けらけらと笑いながら言葉が返ってきた。
「正直めっちゃ痛かった! 一度その場で癒身の法かけて穴塞いじゃったもん俺」
「何それ。じゃあ今空いてるのは空け直した穴ってこと?」
「そ。結果的に二回も痛い思いしちゃった。すげぇ馬鹿」
笑い話だよ、と続けたザクロは次に髪飾りの棚へと移動する。ふらふらと店内を移動する彼に置いていかれてしまうのではないかと一瞬不安になったが、長身の彼をこの狭い店内で見失うことの方が難しそうだ。
別に約束してこの店に来たわけでもないのだし、はぐれたらそのまま帰ればいいと思わなくもない。が、先ほどまで私が両手で抱えていた荷物は今、ザクロの左腕にすっぽりと抱えられている。傷薬が人質(?)にとられている以上、私は彼についていくしかない。
「ナナちゃんは新しい髪飾り欲しくないの? いつも同じやつ付けてるじゃん」
私のこめかみで揺れる丸い髪飾りを指差しながらザクロが聞いてきた。
「これは……。うん、これ、気に入ってるから」
「へぇ、そうなんだ」
指先でそっと髪飾りに触れる。この髪飾りは私が幼い頃、二人のお兄ちゃんたちとお揃いで付けたくてお母さんに買ってもらったもので、特別な想い出が詰まっている。淡いピンク色のそれはどう見ても女の子用で、成人した男の人が付けるのは相当勇気がいるであろうことが今なら分かる。けど、あの頃はそんなこと、考えもしなくて。
「……ふふっ」
髪飾りには出来ないが、と断りを入れつつどこへ行くにも律儀に持ち歩いてくれた上のお兄ちゃん。じゃあ髪伸ばそっかな、と言って数ヶ月後に本当に髪飾りとして使ってくれた下のお兄ちゃん。二人の顔を思い出したらなんだか懐かしくて、思わず笑みが零れた。
「あ。今あんまり見たことない顔した。無邪気な子供の顔」
「え?」
唐突な指摘に思わずザクロを見上げれば、ぱっちりと目が合う。
「ナナちゃん、仲間と一緒にいると大人っぽく見えるから」
「わ、私が大人っぽいんじゃなくてみんなが子供っぽいんだよ。特に男子」
珍しいものを見る目で見つめられていることが気恥ずかしくてすぐに目を逸らせば、ザクロもそれ以上は聞いてこなかった。
いつもと違う顔、などと言われたことに少し驚いた。私は彼のことをほとんど知らないのに、彼は私の何を知っているのだろう。
***
せっかくだから何か買ってあげようか? というザクロの申し出を丁重にお断りし、結局私たちは何も買わずに店を出た。
「うーん。楽しかったけどちょっと窮屈だったな。外の空気が美味い」
大きく伸びをして一歩を踏み出したザクロの歩幅は大きく、今度こそ置いていかれそうだ。
「あ、ごめん荷物! もう、自分で持つよ。ありがとう」
アクセサリーを見るのにすっかり夢中になって忘れるところだったが、傷薬が詰まった袋をザクロに渡したままだ。
もう後は宿に戻るだけなのだから自分で持とうと告げた言葉は、しかしあっさり却下された。
「馬鹿言え、女の子の君にこんなの持たせて手ぶらで帰ったところをリヒャルトにでも見つかったらどうする。俺は朝まで説教されるぞ」
「それは……確かに。紳士だからなぁ」
共通の友人の長所だか短所だか分からないところに、二人して苦笑する。私はリヒャルトの紳士的で優しい性格をとても好ましく思っているけれど、時にいきすぎることがあるのもまた事実で。特に男の子には結構ズバズバとものを言うから、朝まで説教もあながち間違っていないかもしれない。
そんなこんなで私は宿に着くまでお言葉に甘えることになり。先を行くザクロとはぐれないよう、私は早歩きで後に続いた。
***
「冷えるなぁ、今日。ナナちゃん、寒くない? 」
さっきあんなことを思い出したせいだろうか。振り返ってそう問い掛けてきたザクロの声が、なんとなくお兄ちゃんと重なった。今日は寒いな、帰ってミソスープが飲みたい、そう言って私の手を取ってくれた二人の手の温もりを、私は今でも覚えている。
──もう、会うことは叶わないけれど。
「……ちょっとだけ、寒いかな」
「だよな。なんか雨も降りそうだし、早く帰ろ」
そう、お兄ちゃんたちとは、こんな時、手を繋いで。
──手を繋いで、歩いた。
そうすれば、距離が離れることもなくて、置いていかれることもなくて。
「……ッ、ザクロ!」
気が付くと私は前を歩く人の名を呼び、その腕にしがみついていた。
「うぉっ!? え、あ、何?」
私の行動に相当驚いたのだろう、体勢を崩した彼は片腕で抱えていた紙袋を落としかけ、そのまま倒れそうになったところを慌てて踏みとどまる。通りを歩いていた通行人が数人、彼の声に振り返った。
「! はっ!? ご、ごめんなさい! 」
一方の私も自分自身の行動に驚き、跳ねるようにして飛び退くと大声で謝罪した。自分で撒いた種とはいえ、ザクロの紙袋からひとつだけ放り出された傷薬の瓶をギリギリのタイミングでキャッチしたことだけは自分を褒めてもいいと思う。
まずい、怒られるかもしれない。
何をぼーっと想い出に浸っていたのだろう。ザクロが傷薬のたくさん入った袋を抱えていることを知りながらこんな、じゃれつくような真似を。子供っぽいことを。恥ずかしい。もう私の体内を巡っていないはずの血液が、全て頭に上るような錯覚を覚えた。
「……っくりしたぁ。ごめん、歩くの早かったか。やだー、女の子と歩き慣れてないのがバレバレ」
ところが、私の不安をよそに返ってきたのはいつも通りの緩やかな声。
ごめんね、ともう一度繰り返して荷物を抱え直すと、彼は私に右手を差し出してきた。
「……? 何?」
それの意図するところが分からず、私よりひと回り、いやふた回りは大きなザクロの手のひらを見つめる。以前一緒に仕事を受けた時は黒い手袋をしていたような気がするけれど、今は無防備に素肌を晒していた。
「何って。手ぇ繋ぎたいんじゃないの? ナナちゃんよくやってるじゃん、元気なお宅のリーダーと」
「!? あ、あれは目を離すとリヒャルトがすぐどこか行っちゃうから! 私、私は手なんて繋いでもらわなくても、……」
そこまで言っても、彼は手を引こうとしない。
「繋がない? ほんとに?」
「……」
寒空の下、ひらひらと、温かそうな手が私を誘惑してくる。
いや、おかしいでしょ。ザクロと私はただ同じ宿に泊まっている冒険者というだけの間柄で、私は彼のことちょっと苦手で、よく知りもしなくて。
──よく、知りもしなくて。
すっかり慣れたリューンの道。ここから宿まで迷子になる可能性なんてないし、なんなら預けた荷物を返してもらって別々に帰ったっていい。
なのに。
一瞬、ほんの一瞬だけ。
この手をとったら、ザクロのこと、少しは知ることが出来るかな。
そんな気持ちが、浮かんでしまった。
彼のことをもっと知りたいと、そう、思ってしまった。
「……私、手、冷たいよ?」
「知ってる」
「宿に着く頃にはザクロの手が冷え冷えになってるかもよ?」
「でもお姫様をエスコートしたご褒美に、美味しいスープがもらえるんだよ」
「………………繋ぐ」
「ん。いい子だ。おいで」
いい子、という言葉の響きが完全に子供をあやす時のそれであったことが少しだけ引っ掛かったものの、ふわりと包み込まれた左手の感触が心地よくて幸せな気持ちになる。
ザクロは今、何を考えているのだろう。
こっそりと見上げてみてもその横顔からはやっぱり何も読み取れないけれど、繋いだ手の内に感じる温もりだけは確かだった。
***
了