『陽光を纏う』

 

***

 

 

「初仕事終了、っと。お疲れ様!」

大きく伸びをするティスナのその横顔を、橙色の夕陽が柔らかく照らしている。

 

「今日一日どうだった?」

「……てがみをわたした人に、よろこんでもらえて、よかった、です」

 

 抑揚のない声と、時折ぱちぱちと瞬きをする以外は動かぬ瞼。眉の上で短く切りそろえられた前髪をいじりながら呟くヒサギは、口に出した言葉とはおよそ不釣り合いな表情をしている。

情緒の発達が人間のそれより著しく遅い竜族の少女は十五歳にして尚、感情表現に乏しい。それでも、言葉を選びながらぽつりぽつりと零された言葉に、ティスナは満足気に微笑んだ。

 

「そっか。お前が楽しく仕事できたなら、俺も嬉しい」

「うれしい」

「……もしかして、“嬉しい”って気持ちわかんない?」

 

 投げかけられた言葉をそのまま復唱したヒサギを見て問い掛ける。

 

「ことばだけは、しっています。でも、それがどういうきもちをさすことばなのか、よくわかりません」

 

 なるほど、そこからか。“喜ぶ”が分かって“嬉しい”が分からないというのは不思議なものだが、そういう自分とて幼い頃どんな順番で数々の感情を理解していったかなどとはっきりと覚えてはいない。顎に手を当てたティスナは、しばらく思案してからゆっくりと口を開いた。

 

「手紙を届けた人、みんな笑ってただろ」

「……?」

「こうやって、ほっぺ緩めて、にこーって」

 

 両手の人差し指を自分の頬に当ててみせるティスナをじっと見つめ、最後に手紙を届けた老婦人のことを思い出しながら、ヒサギはこくりと頷いた。離れて暮らしている息子夫婦から、息災で暮らしているという便りだと言っていた。

 

「おばあちゃんは、息子が元気だったから嬉しい。おばあちゃんが笑顔になってくれたのを見たヒサギは、仕事頑張って良かった!って思うから嬉しい。ヒサギが仕事を通してそういう感情を得られたのなら、一緒に働く仲間である俺も嬉しい。分かる?」

 

 背中を丸めて屈み、小さい子供に言い聞かせるように、翡翠色の瞳を覗き込みながら話す。ヒサギも自分に持てる限りの思考を巡らせ、ティスナの言うことを理解しようと努めた。

 

「……いいことがあると、うれしい?」

「……! そう! ついでに言うと俺は今日の夕飯がミルクシチューだから嬉しい!」

 

 言わんとしていることが上手く伝わった喜びにぱっと顔を輝かせたティスナの眼差しはまるで少年のようで、思わず口をついて出た言葉の内容も相まってどちらが子供だか分からない。

 しかし、相手も“嬉しい”のだと感じ取ったヒサギは、心の奥がぽかぽかと温かくなるのを感じた。

 

「うれしい、おぼえました。ありがとうございます」

「よしよし。そのうちヒサギも笑ってくれよ?」

 

 ぽんぽんと頭を撫でられ、ヒサギはくすぐったそうに目を細めた。

 

「ティスナは、わらうのが、じょうずですね。おひさまみたいで、あったかくて、まぶしいです」

「はは、褒めすぎ」

 

 花冷えの季節、陽が沈みきってしまうと辺りは途端に寒さに包まれる。びゅうと音を立てて風が吹き、風邪をひかないうちに帰ろう、と歩き始めたティスナに向かってヒサギは声を掛けた。

 

「……おひさまは、しずんでしまいましたが、わたしは、あなたのわらった顔を、ずっと見ていられたら、うれしいです」

「へぁっ? ……す、すごい口説き文句がきたな」

「クドキモンク? どういういみですか」

「子供は知らなくてよろしい」

 

 その時心に浮かんだ気持ちを素直に述べただけのヒサギが、なんと恥ずかしいことを言ってしまったのだろうと顔を覆うことになるのは、もう少しだけ先の話。

 

 

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