『巡る』

 

***

 

 ――山間の街キャルスロッセ。

 エトランザから馬車を乗り継ぎ、そろそろ腰が痛くなってきたというところで漸く到着したこの街はとある聖人の生誕の地として知られ、飾り気はないが重厚な存在感を示す聖堂が目を引く。隣接する渓谷は彩りの季節を迎えており、絵に描いたように美しい木々が街を見下ろしていた。

 

「では、私はハーヴィン氏の店に向かう。宿の手配は頼んだぞ」

「うす」

 

 護衛兼荷物持ちとして着いてきてくれた若い連れに声を掛ければ、短い返事が返ってきた。ちょっとしたアクシデントで回り道を余儀なくされ、昼過ぎに到着するはずがもう夕方。買い物は明日じっくりさせてもらうとして、今日のところは古い友人に顔だけ見せにいくことにする。

 

 この街へ来たのは、昔世話になった(世話をしたという方が正しいかもしれない)依頼人が薬屋を開いたという知らせを受け取ったからだった。

 当時受けた依頼は「風邪で寝込んでいる父のために薬草を取りに行くので護衛をして欲しい」という、十かそこらの子供が小遣いを握りしめて出してきたささやかなもの。とある依頼の帰り道にたまたまこの街に立ち寄って一泊した時のことだ。

 

 護衛といってもただの山登りのようなもので何の危険もなく、道中は好奇心旺盛な依頼人が寄り道しそうになるのを止める仕事の方が忙しかった。薬草やハーブの効能に興味があると語った彼は、事情があって子供の姿で冒険者をやっているが本業は医者である、という私を何の疑いもなく受け入れた。そして薬の知識や傷の手当の話を次から次へとせがまれ、依頼を終える頃にはすっかり懐かれていたのであった。

 

「さて」

 

 歩き出した私は鞄から手紙を取り出し、改めて住所を確認したのち自分の記憶と照らし合わせる。門をくぐったら聖堂に向かって真っ直ぐに進み、商店街を抜けた広場の噴水を右。長らく訪れていないがあそこの雑貨屋の店主は元気だろうか。山の上から運ばれてくる涼やかな風に吹かれながら通りを歩くと、自然と冒険者時代のことが思い出された。

 

 ぐるりと見渡せば、歴史ある街は老若男女様々な人間が行き交う。先の聖堂を目当てに世界各地から集う巡礼者はみな胸にクラキスという葉を飾っており、一目見ればすぐに信徒なのだと分かった。

 

「しかし、ここまでの道のりはさすがに疲れた。もう若くないな」

 陽の傾きかけた空に向かって大きく伸びをすると、凝り固まった身体が解されていくのを感じる。齢は五十を過ぎ、年々あちこちが衰えていくな、などと考えていた、その時。

 

 ドン、と肩に衝撃を受ける。

 噴水の脇を曲がろうとしたところで、前から歩いてきた青年とぶつかってしまった。

 

「おっと、失礼」

 

 反射的に詫びを述べれば、あちらも驚いたのだろう、大きく見開かれた透き通った蒼い瞳と目が合う。肌の白い、硝子細工のように綺麗な顔立ちをした男だった。

 

「いや、こちらこそ申し訳ない。ちょっと、目眩が、し……」

 

 返そうとした言葉は最後まで紡がれることなく、青年はその場に崩れ落ちた。

 

「! おい、大丈夫か?」

 

 抱き起こせば酷い高熱で、指先が小刻みに震えている。旅人風の外套を纏い、胸元にはクラキスの葉。よその街から訪れている巡礼者なのだと知る。

 

「手を貸そう、立てるか? 君が宿をとっているならそこまで付き添う」

「あ……、僕、さっきこの街に着いたばかりで、……」

 

 弱々しい声を必死に絞り出す青年の脈をとろうと腕を持ち上げると、右手首に細かい痣のようなものが散らばっている。

 

「これは――、フェルジの毒か」

 

 なるほど、熱の原因はこれだ。フェルジソウは一見無害に見える植物だが、触ると毒を撒き散らす。小さな棘で皮膚を傷つけ、そこから入り込んでじわじわと身体を蝕んでいく毒草だ。勤め先の郵便局でも新人配達員が街の外でこいつにやられて医務室に飛び込んでくる例は少なくない。

 

「毒……。このまま死ぬのか……? 僕は……、神に見捨てられたのだろうか」

 

 掠れた声で呟く青年は酷く不安そうな顔をしていた。

 

「君の神が君を見捨てたかどうかは知らないが、私は君を見捨てない。私はこういう時、最後まで頼りになるのは人間の生命力だと思っている」

「……」

 

 神がどうとかではなく単純に君の知識不足だ、と説教をするのは体調が回復してからにしてやろう。大丈夫だ、死に至るような毒ではない。必ず治る。と最後に付け加えて笑いかけてやれば、彼の身体から少しだけ力が抜けたのが分かった。

 

「薬が先だな。私が持っていれば良かったんだが生憎手持ちがない。ちょうど今から薬屋に向かうんだ、連れて行く」

「ぇ、あ、うわ!?」

 

 少々強引であったことは否めないが、少しでも早く楽にしてやりたい。私は気合いを入れて彼を抱え上げると、目的の場所に向けて急いだ。

 

 

***

 

 

「いや、無理かと思ったがこの歳になっても男一人抱えて走れるものだな。若い頃に鍛えていて良かった」

 

 火事場の馬鹿力というやつか? と首を傾げる私の元に、店主が呆れ顔で茶を差し出す。爽やかな酸味の香るハーブティーの入ったカップが、ことりと小さな音を立てた。

 

「僕は滅茶苦茶びっくりしましたよ。二十年ぶりの再会を祝うつもりでいたら病人連れて駆け込んでくるなんて思わないでしょ」

 

 私が転がり込んだ時、街外れにあるハーヴィン薬店はちょうど店じまいの準備をしているところで、事情を話すとすぐに解毒薬を用意してくれた。

 

「バタバタとすまなかった。しかし本当にいいのか? 寝床まで提供してもらって」

「もちろんです、困った時はお互い様でしょう」

 

 フェルジの毒を緩和する薬の調合には少々希少な樹液が必要で――という私の心配をよそに、彼の店の品揃えは完璧だった。幸いにも薬はすぐに効き始め、運び込んだ青年はハーヴィンのベッドで穏やかな寝息を立てている。

 

「それにしても綺麗な人ですね。髪の毛なんて絹糸みたいだ。この人も職場の同僚さんですか?」

「いや、知らない人だ」

「しらないひと??」

「仕方ないだろう、私の目の前で倒れたんだ。初対面だろうが何だろうが助けない理由はない」

 雪嶺さんらしいな、と笑う口元のえくぼが彼の幼い頃の面影を残していて、なんだか嬉しくなった。

 

「積もる話もあるが、病人の隣でいつまでも話し込むわけにもいかないな。容体も安定しているし、今日のところは失礼する。また明日来よう」

「はい、お待ちしています」

 

 真新しい木の扉を開けて外に出ると辺りはすっかり暗くなっており、藍色の空に無数の星が輝いていた。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込むと、それだけで旅の疲れが癒されていく気がした。

 

***

 

 翌朝連れと共に薬店を訪ねると、昨日の彼は朝早くに出立したという。ハーヴィンの話によると一晩ですっかり回復し、おかわりまでして朝食を済ませていったそうだ。食べ方に気品を感じたと言うからどこぞの良家の子息なのかもしれない。

 

「フェルジの毒って一晩で元気になるようなヤツだっけ? どんな回復力してたんすかそいつ。ホントに人間?」

 

 故郷ではあまりお目にかかれない薬草を興味深げに眺めていた連れが素直な疑問を口にする。確かにその通りだ。死に至るような毒ではないと言ったものの、完全に回復するまでに数日はかかると思っていた。

 

「熱もひいて、手首にあった痣もすっかり消えていました。僕ももう少しゆっくりしていっていいと言ったんですが、先を急ぐからって」

 

 カウンター越しにそう話す店主からの報告によるととりあえず問題はなさそうだ。

 

「何て言うか、昨日あんなだったのに今日は外に遊びに行く子供みたいなテンションで笑っちゃいましたよ。止める暇もありませんでした」

「はは。まぁ、元気が出たなら何よりだ」

「旅をするのは初めてなんですって。怖い思いしたばかりだっていうのに、強い人ですね」

 

 繊細な造形の顔に似合わず図太く生きられる男なのだろう。彼の旅路が有意義なものになるよう心の中で祈っておく。

 

「おっと、忘れるところでした」

 

 そう言って店主は質素な銀貨袋を取り出す。

 

「何だこれは。今は私が金を払う側だ」

「昨日の彼から。解毒に使った薬代きっちり入ってます。……そういえば名前も聞いてないな。あなたによろしく伝えてくれとしきりに言っていました」

「律儀な男だ。では有り難く。ふむ、この金があればそっちのハーブとこっちの粉末も買えるじゃないか」

 

 この店には、珍しい種類の薬草や素材があちこちに並んでいる。キャルスロッセは周りを山に囲まれ、流れる水は純度が高い。この土地、この気温、この環境でしか育たない諸々があるのだ。あれとこれとそれと、弟に頼まれた薬品も忘れずに買って帰らなければ。

 

「買い物楽しむのもいいけど俺の腕は二本しかないっすからね、センセー」

 

 しゃがみ込んであれこれと物色している私の頭上から、荷物持ち係のやや心配そうな声が降ってくる。

 

「その立派な尻尾も合わせて三本だろう、エドガー。君には期待している」

「……アンタたまに強引なとこあるよな」

 

 ぴんと立っていた虎耳が後ろ向きに伏せられる。何か怖がらせるようなことを言っただろうか。しかしそもそも私が三週間も休みを取れたのは、この品々を持ち帰るという大義名分があるからだ。ついてきたからにはそれなりの仕事をしてもらわなければ困る。連れにそう言い聞かせると私は困惑の視線を浴びながら買い物を終え、店主との想い出話もそこそこに両手いっぱいの荷物を抱えて帰りの馬車に乗り込んだのだった。

 

 

***

 

 

 ――キャルスロッセを発って数時間が過ぎ、振り返ってもかの聖堂は見えなくなった。乗り合い馬車はそこそこに混雑していて、商人や冒険者と思われる乗客、クラキスの葉を胸につけた信徒などが交わす暇つぶしの会話が聞こえてくる。

 

「そういえば聞いたか? ジェイドくん、冒険者になりたいんだと」

「え、ジェイドに会ったんすか?」

 

 ふいに話題を振られたことでエドガーの欠伸が止まる。

 

「藤波からの聞き伝えだが。君にもお声が掛かるんじゃないか。長期休暇の申請を準備しておいた方がいい」

「アイツまた俺に顔も見せずに藤波さんちでゴロゴロしてんのかよ。こっち来たなら稽古つけてやるって言ってんのによー」

 

 ついて行ってやってもいーけど毎日ビシバシしごいてやる、とぶつくさ言っているその表情はしかしどこか嬉しそうに見えた。

 

「君は存外良い兄貴だよな。君たちが一緒にいると本当の兄弟のように見える」

「俺はもっと真面目な弟が欲しいっす」

「リューンに行くなら良い宿を紹介するぞ。少々古いが亭主の作る食事が美味い」

 

 冒険者なんて好き好んで選ぶ稼業ではないと言う者もいるが、私はそうは思わない。冒険者としてしか得られない経験があり、景色があり、出会いがある。彼らもまた、そういうものを経て成長していくのだろう。

 

 馬の蹄が定期的に地を蹴る音を聞きながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

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