『すやすや』

 

***

 

「……あ。ナナちゃん、寝ちゃった」

 

 悪いけど少しのあいだ面倒を見ていて、と母親に頼まれ出掛けた先の公園で、もうすぐ二歳になる妹は気持ち良さそうに昼寝を始めた。春の昼下がり、心地好い風が俺たちの頬を撫でていく。

 

「悪ィなティスナ、せっかく遊びに来てくれたのに」

「いや全然。ナナちゃんと遊ぶのも目的のうちだし。はー、お日さまの匂いがする。可愛い、柔らかい、あったかい、天使」

 

 腕の中に奈々月を抱えたまま心底幸せそうな顔をしているティスナは、孤児院で暮らしていた頃に赤ん坊の世話を任されていたらしく驚くほど子供の扱いに慣れている。

 

「んじゃそろそろ帰るか。抱っこ代わる」

 預けていた妹を引き取ろうと腕を広げると、ティスナから奈々月が返って――、

 

 返って――……、

 

 返ってこない。

 

「おい」

「はい」

「返せよ」

「いや、そうしたいのは山々なんだけど」

 

 ちょいちょいとティスナが指差した先は奈々月の小さな手。見ればティスナの服を思い切り握りしめている。

 

「ナナ、兄ちゃんと帰ろ? ほら、」

 

 ぎゅう。妹は変わらずティスナの胸に顔を寄せたまま動こうとしない。

 

「……」

「……」

「ナナ、兄ちゃんの抱っこも好きだろ?」

 

 ぎゅう。

 

「ンーー!」

 

 少しだけ力を込めて奈々月を引っ張る俺、薄い眉を寄せながらふるふると頭を振る奈々月。抗議の声を上げつつ、その手は更に強くティスナの服を握った。

 

「え、そんなにやだ……?」

「ふふーん、フラれちゃったなぁ」

 

 ショックを隠し切れない俺に向けたドヤ顔が腹立たしい。いやいやそんな、まさか、奈々月が俺よりこいつを選ぶなんて有り得ない。あってはならない。

 

「いいよ、このままお前んちまで連れて帰ろ。俺とナナちゃん相思相愛なんで! 悪いな!」

「調子乗んな、寝心地のいいベッドとして認められただけだっての」

 

 現実から目を背けるようにくるりと後ろを向き、公園の出口に向かう。

 

「なぁ、そのうちナナちゃんが“大きくなったらティスナくんのお嫁さんになる!”とか言い始めたらどうしよう」

「残念だなぁ、俺が認めねぇから破談だ」

「なんでだよ! もれなく俺からもお兄ちゃんって呼ばれるようになるんだぞ」

「世界一要らねぇオプションだよ」

 

 いつもと変わらない、明日には忘れているような軽口を叩きながら帰路に着く。結婚か。いつの日か彼女の口からそんな話が出ることもあるんだろうな。考えただけで胃が痛くなる兄の気持ちも知らずに、妹は俺の親友にくっついたまますやすやと眠り続けるのであった。

 

 

***