『Sweet(s) Life』

 

***

 

「アリーシャお疲れ、向かいの席いい?」

 

 あちこちで談笑する声が聞こえる昼休みの食堂。山積みの書類をやっと片付けてきたティスナは、眉間に皺を寄せて黙々とサンドイッチを頬張るアリーシャに声を掛けた。

 

「あらティスナ。ごめん気づかなかった、お疲れ」

「すごい顔してたぞ。何か面倒な仕事でもあった?」

「ううん、仕事は順調。今日は定時で上がれそうだし」

 

 仕事はね、と繰り返したアリーシャの視線は目の前に広げられた雑誌に移る。読んでいるのは彼女が毎月定期購読しているお気に入りの雑誌だろう。“二人で楽しむスイーツ特集!”と書かれた表紙には、色とりどりのフルーツが乗った美しいケーキが並んでいる。

 

「うーん、じゃあ。次の甘党会の店が決まらない、とか?」

 

 ティスナの問い掛けにまたもやアリーシャはふるふると首を横に振る。

 

 甘党会、というのは彼女と、同じくこのエトランザ郵便局で働く雪嶺との間で月一で行われている行事である。冒険者として過ごしていた頃たまには息抜きにとアリーシャが誘ったのが始まりだそうだが、こうして冒険者を引退してエトランザに戻ってきてからも定期的に開催されているらしい。

 

「ううん、行きたい店も、食べたいものも決まってる」

「じゃあ何だよ。雪兄、忙しそう?」

「……まだ、誘ってない」

 

 唇を尖らせて気まずそうに俯くアリーシャを眺めながら、ティスナは近頃の雪兄――雪嶺の様子に思いを馳せる。

 

 配達員が街の外で魔物と遭遇して怪我をすることは珍しくなく、医務室に勤務する彼は普段から忙しなく働いている印象はある。しかし、いつも以上に疲れているとか、休日に遊ぶ時間がなさそうだというふうには思えない。

 

 なかなか答えが見えてこない憂い顔の理由に考えを巡らせていると、アリーシャがおずおずと口を開いた。

 

「カップル限定の、ケーキバイキングなの。二時間食べ放題」

「へぇ」

「入店時に、う、腕を組んでご来店くださいって」

 

 腕を組んで、と言ったアリーシャは自分で自分の腕を掴み、真剣に考え込んでいる。

 

「……」

「……」

「まさかそれだけ?」

 

 話に続きがないことを悟ったティスナは、心配して損した、という安堵と落胆を思いきり顔に出した。

 

「それだけって何よ! そ、そ、そんなの………そんなの…………………、」

 

 そんなの、を二回繰り返したところで溜め息まじりの息を吐く。

 そして耳まで赤く染めた彼女が続けた言葉は一言。

 

 

「は、恥ずかしいじゃない……」

 

 

***

 

 

 つまるところ、雪嶺と一緒に街を歩くのは慣れっこだがそれは友達と遊ぶ感覚であって、恋人同士であるかのように振る舞うなど到底出来ないという話であった。

 

「店に入る時だけちょっとくっついてカップルでーすって言えばいいだけだろ? そんなに気負うものじゃなくない? 俺、藤波とだって出来るけど」

「乙女心は複雑なの。馬鹿二人と一緒にするんじゃないわよ」

「すみませんでした」

 

 ティスナはアリーシャのことを、男女分け隔てなくスキンシップをするタイプの人間だと思っていた。ティスナが誰かと話しているところに「あたしも混ぜて!」と身体を割り込ませてくることもあるし、それこそ突然腕を組まれたことだってある。以前は雪嶺とだって、普通に腕を組んでいたではないか。

 

 それが今、彼と腕を組むことを想像してこういう顔をしているということはつまり、心境の変化があったということなのだろう。

 

 アリーシャは社会勉強としてここエトランザの街へ来ている箱入りのお嬢様だ。ネイルやリボンで着飾った姿は華やかで流行にも詳しく、いかにも都会っ子といった風貌のわりに全くと言っていいほど浮いた話を聞かない。日中テキパキと仕事をする様子は手際も良く見事なものだが、恋愛に関しては全くの初心者と言っていい。

 

「そもそも、雪嶺だって嫌かもしれないじゃない。誘っても断られるかも」

「えー? そうかなぁ?」

 

 そんな彼女がこうしてオロオロと、職場の先輩を誘えないと嘆いている様子は不憫ながらも面白い。配膳係からパスタランチを受け取ったティスナは改めてアリーシャの前に腰掛けると、前のめり気味に話の続きを待った。

 

「……何ニヤニヤしてるのよ」

「なんか可愛いなと思って」

「当然よ、毎晩きっちりスキンケアしてるし今日は髪の毛綺麗に巻けたし。女の子は誰だって可愛くなれるよう努力してるものなの」

「いや、そういう意味の可愛いじゃなくて――」

 

 と言いかけたティスナの鼻を、香ばしいチーズの匂いが掠る。

 

「ティスナくん、アリーシャ。お疲れ」

 

 噂をすればなんとやら。

 現れたのは雪嶺その人であった。

 

 

***

 

 

「雪嶺」

「雪兄! お疲れ、 グラタン美味そう」

 

 幼い頃から可愛がってもらい、大人になってからも何かにつけて世話になっている雪嶺のことをティスナは実の兄のように慕っている。雪嶺の持つトレーに乗せられたグラタン皿に思わず目を輝かせれば、僅かな笑みと共に「あとで一口やろう」と返ってきた。

 

 

「カップル限定ケーキ?」

「そ。別にアリーシャと恋人ごっこするの嫌じゃないよな?」

 

 あたしの許可もなく何勝手に誘ってるのよ、と騒ぐアリーシャを制しながらティスナが尋ねる。ティスナの隣に座った雪嶺は、少し考えてからこう答えた。

 

「嫌ではない……が、逆に聞きたいが私でいいのか? 確か故郷に婚約者がいるんじゃなかったか、君」

「顔も知らない人よ。親が勝手に決めたの。そのうちお断りの手紙を送りたいのよね」

「じゃあ気になっている人とか」

「……いない、と、思う」

 

 アリーシャの否定の言葉はなんだか自信がなさげだ。繰り返すようだが、気になっている人がいない人間がさっきのような振る舞いはしない。二人のやりとりを眺めながら、ティスナは形容しがたいもどかしさを覚えた。

 

「ふむ。食べ放題なのか。腹を空かせて行かないとな」

「……雪嶺、ホントに嫌じゃない? あたしと、その、恋人のふりするの」

「嫌がる理由がどこにあるんだ。君のような恋人がいたら自慢すると思うぞ。君は明るくて美人だし、まわりのことにもよく気が付く。仕事も優秀で冒険者時代には何度命を助けられたか分からない。そういえば料理も上手いな。作ってもらえるなら毎日でも食べたい」

「ちょ、ちょ、やだ、すごい直球で褒めてくる」

「それから──」

 

 指を折りながら大真面目にアリーシャの好きな所を挙げる雪嶺はしかし、何かを考えるように途中で言葉を切った。

 

「雪兄? どしたの?」

「いや……、こういうのを、“嫁に欲しい”って言うんだろうかと思ってな」

「っぶ!!!!!」

 

 アリーシャが飲んでいた紅茶を吹き出し、ティスナは椅子ごとひっくり返りそうになる。

 

「よ、嫁!?」

 

 飛躍した発言にアリーシャの顔が再び朱に染まる。あちこちに視線を泳がせ口をパクパクとさせたまま、次の言葉が出てこない。

 

「……。もしかして私は今、アリーシャにプロポーズしたか?」

 

 こくこくと頷くしか出来ない二人の動揺に、呑気な雪嶺も状況を理解したらしい。

 

「あ、いやっ、違う、……っ、すまない。困らせるつもりではなかった。失礼なことを言った、気を悪くしないでくれ」

「こ、困ってるわけじゃ、ないけど、ちょっと、その、びっくりしたというか、なんというか」

 

 世間話のつもりだったとはいえただの職場の同僚、しかも婚約者がいるという女性になんと図々しく大胆なことを言ってしまったのか。自分の無神経さに呆れ慌てて言い訳を並べる雪嶺と、息をするのも精一杯という感じでしどろもどろになりながら応えるアリーシャ。突然の甘酸っぱい空気に一気に肩身が狭くなったティスナは、無言でベーコンを口に運んだ。

 

「えー、あー、なんだ、その、ゴホン! 私はただ、君との生活は楽しいだろうなと、そう、思って──……」

「……」

 

 雪嶺の言葉はだんだんと小さくなり、最後の方は食堂の喧騒に溶けてしまった。長方形のテーブルを囲む三人の間に、しばしの沈黙が降りる。

 

 皿に盛られたパスタのラスト一本が口に入るタイミングでちらりと雪嶺の方を見れば、心なしか彼も顔が赤い。付き合いも長いが、雪嶺のこんな顔を見たのは初めてだとティスナは思った。

 

 テーブルを見つめ無言で昼食を頬張る三人を不思議そうに眺めながら、他の職員が通り過ぎていく。

雪嶺はしばらく小難しい顔で考え込んでいたが、やがて何かに気付き、そして決心したようにゆっくりと顔を上げた。

 

「アリーシャ」

「えっ、何?」

「私と付き合わないか?」

「はっ!?!?!??!」

 

 沈黙を破った予想外の一言にアリーシャが素っ頓狂な声を上げ、今度こそティスナは椅子から転がり落ちた。大きな音を立てた一角に食堂中の視線が集まる。

 

 

「さっきは他の人を、なんて言ってしまったが、話しているうちに君のことを誰かに渡すのが惜しくなった。これはつまり、私が君のことを一人の女性として好いているからだと思う」

「え、ぁ、まっ、」

「家庭の事情も理解している。決めるのは君だ、君が他の人を選ぶというならそれでいい。だが、君が私を選んでくれたら私はとても嬉しい」

 

 

「ねぇ、あれ雪嶺先生じゃない?」

「えっ、なに? 告白?」

 

 何が起こっているのかを察したまわりの職員があちこちでざわつき始める。しかしその声はアリーシャには聞こえなかった。雪嶺の誠実な言葉と視線が、痛いくらい刺さる。

 

 

「……あたしで、いいの?」

「君がいいんだ」

「あたしいっぱいお酒飲むよ?」

「健康に害を与えない程度で頼む、緑茶で良ければ付き合おう」

「食堂でグラタン食べながらムードもへったくれもない告白してきたこと一生文句言うけどいい?」

「うっ、それは、正直自分でもちょっとどうかと思っている。君さえ良ければどこかで仕切り直しを」

 

「……ふふっ」

 

 そこまで話して、やっとアリーシャにいつもの笑顔が戻った。いや、いつも以上に幸せそうな笑みだったかもしれない。

 

 それまできゃあきゃあと騒いでいた周囲の職員たちも、その頃にはすっかり静まり返って二人の動向を見守っていた。

 

 

「……嬉しい。ありがと。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 

 

 かくして昼休み終了の鐘が鳴ると共に、食堂には拍手と歓声が巻き起こったのであった。

 

 

***

 

 

 就業終了時刻を過ぎ、人気のなくなった職場は昼間よりも肌寒い。この間夏が終わったと思ったら、いつの間にかすっかり冬になってしまった。

 

「──だからさ、すっごかったんだって、雪兄の公開告白! 俺までときめいちゃった!」

 

 こう言ってこうなってその時こう返して、あーだこーだと報告してくるティスナの勢いに、藤波はこめかみを押さえる。季節の移り変わりなんぞよりよっぽど面白いものを目の当たりにした友人の興奮は、まだ収まりそうにない。

 

 皆がいつもと変わらない日常を過ごしていた局内で起こったちょっとした事件は、瞬く間に広まった。驚きのあまり持っていたフラスコを落とした藤波の靴には、その時こぼした薬品の色が染み込んでいる。

 

「はぁ。恐れていたことが起こっちまった……」

 

 兄の恋人ということは、つまり将来的に義理の姉になる可能性があるということである。それがよりにもよってアリーシャ。職場で顔を合わせれば口喧嘩の絶えないあのアリーシャだ。七つも年下の義姉。

 

「お兄ちゃんとられて悔しい?」

 

 連れ立って正面玄関へと向かう廊下で、ティスナはからかうような口調で藤波を覗き込んだ。

 

「アリーシャじゃなけりゃ悔しくなかった」

 

 不機嫌そうな声で即座にそう返ってきたものの、ぶつぶつと文句を言っている割には眼鏡の奥のその瞳にどことなく喜色が浮かんでいる。

 

「はは、長い付き合いになるかもしれないんだ。仲良くやってくれ」

 

 相手が相手だけに複雑な心境ではあれ、なんだかんだで心の奥底では兄の幸せが嬉しいのだろう。思ったほど落ち込んでなさそうで、ティスナは安心した。

 

「さて、と。んじゃあ、兄貴にお祝いでも買ってってやるかね。まだ店開いてっかな」

「ん? 何買うの?」

「でっけぇホールケーキ。ケーキ食い放題のデートなんて行きたくなくなるようなやつを、どーんとな!」

 

 

***